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バイナショナリズム(二民族国家) 

バイナショナリズムとは、ユダヤ人とパレスチナ人という二つのネイション(民族・国民)が、領土を分割するのではなく一つの国をわけ合って、互いの存在を認め、一方が他方を支配することなく、政治的な平等と経済、社会、文化面での協力を推進していこうという考え方です。このような国家を、二民族国家あるいは民族共生国家と呼んでいます。
このような考え方は、1920年代から30年代にかけてはシオニストのあいだでも論じられていましたが、第二次世界大戦中にヨーロッパのユダヤ人社会が壊滅し、「ユダヤ国家」イスラエルが誕生したことによって顧みられなくなり、ほんの一握りの少数派の意見となってしまいました。

その後1967年から70年代はじめにかけて、チョムスキーが再びバイナショナル国家の展望を主張したこともありました。しかしイスラエル人からもパレスチナ人からも拒絶され、アメリカではシオニストのヒステリックな攻撃を受けて、これを論じた著書(『中東 虚構の和平』講談社2004年に収録)は黙殺されるという、さんざんの結果に終わったようです。

90年代になってサイードやアラブ側の人々から提唱されるようになったバイナショナリズムは、「二国家解決」が失敗したことに原因があります。

そもそも「二国家解決」には難民の帰還権が切り捨てられるという欠陥があるのですが、それに目をつぶったとしても、この方式はすでに破綻しています。オスロ和平プロセスの10年のあいだに、イスラエルは占領地への入植を急速に拡大し、ユダヤ人専用道路をはりめぐらせて、土地の相貌を変えてしまいました。このため、もはや自立したパレスチナ国家の建設は不可能になり、「二国家解決」は有名無実となりました。これを推し進めても、行きつく先は実質的に一国家、すなわち名ばかりのパレスチナ国家を抱え込んだアパルトヘイト体制のイスラエルがあるのみです。

そこで、これに代わる展望としてバイナショナリズムに基づいた「一国家解決」が改めて提唱されました。「改めて」というのは、70年代のPLOはパレスチナの分割をみとめず、全土に政教分離の民主国家を建てることを目標としていたからです。しかし「二国家解決」の破綻を経て提案された新たな「一国家解決」案は、ユダヤ人が一つのネイションとして存在するのを前提としています。これによって両民族の主権要求が満たされ、また帰還権の問題も解決することができます。

しかし、かつてシオニストが唱えたバイナショナリズムの継承というよりも、サイードの場合は南アフリカの反アパルトヘイト闘争から学んだところが大きかったと、ジョゼフ・マサドは述べています。差別的な「ユダヤ国家」に終止符を打ち、すべての階層の国民に民主的な権利が回復されるのであれば、国の呼称などイスラエルでもパレスチナでもどうでもよいというサイードの発言は、民族主義的な紛争から、アパルトヘイト体制に対抗する「一人一票」制の要求という、より普遍的な人権の闘争へと問題の本質をシフトさせたものとも言えるでしょう。

その意味では、バイナショナル国家も、それ自体が目標というより、真に平等な社会を建設するための一つの過渡的な段階とみるべきものでしょう。

「一国家解決」への切り替えについては、国際世論のコンセンサスは一貫して「二国家解決」であること、またオスロ体制と第二次インティファーダを経験して相互の不信と憎悪がこれまでになく大きく膨らんでしまったことなどから、現時点での実現可能性を疑問視する声も大きく、意見は大きく分かれています。足元のこの現状から、どのようにしてそこにいくのか? 『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(みすず書房2006年)では、ノーム・チョムスキーとジョゼフ・マサドの見方を比較対象することによって、より深く考える手がかりとしています。


References: 
ノーム・チョムスキー 「パレスチナの正義?」
エドワード・サイード 「真実と和解」
エドワード・サイード 「生まれついてか、選び取ってか」
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