シモン・ペレス
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Shimon Peres(1923―)ポーランド生まれのユダヤ人で、34年に家族とともにイスラエルに移民。マパイ時代からの労働党の古参議員。ゴルダ・メイヤ以後はラビンとライバル関係にあり、77年から92年にかけて労働党の党首をつとめた。84年にリクードとの連立内閣で首相に就任し(86年まで)、他の閣僚ポストも歴任した。92年2月に成立したラビン労働党内閣では外相をつとめ、93年9月のパレスチナ暫定自治協定に署名。ラビン首相とともにノーベル平和賞を受賞した。
ラビン暗殺後は首相選でリクード党のネタニヤフに敗れ、バラクに党首の座をゆずった。バラク政権では影が薄かったが、2001年のシャロン政権発足で労働党を挙国一致内閣に引き込み、外相として返り咲いた。
オスロ体制と自治政府を断固として支持しながら、その一方でシャロン首相が推進する軍事弾圧によるテロ撲滅という政策に荷担するという矛盾は、左派からの非難をあびた。
ラビン暗殺後は首相選でリクード党のネタニヤフに敗れ、バラクに党首の座をゆずった。バラク政権では影が薄かったが、2001年のシャロン政権発足で労働党を挙国一致内閣に引き込み、外相として返り咲いた。
オスロ体制と自治政府を断固として支持しながら、その一方でシャロン首相が推進する軍事弾圧によるテロ撲滅という政策に荷担するという矛盾は、左派からの非難をあびた。
オスロ合意の立役者、ノーベル平和賞と、国際的にはハト派の理想主義者のイメージが強いが、イスラエル政界で最も息の長いこの政治家には、無情でしたたかな日和見主義者の側面もあるようだ。国際的な名声を背景に、ペレスはしばしばイスラエルの立場の非公式な弁明者として行動し、反テロ軍事作戦や分離壁の建設などの政策に対する国際的な非難をかわす役割を買って出る。
Reference: ウリ・アヴネリ「ペレツはペレスとは違う」
Reference: ウリ・アヴネリ「ペレツはペレスとは違う」
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- [2005/11/30 06:38]
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